入院生活の不安解消法は?子宮頸がん闘病日記で分かる患者の事情!

みみ・・ぽんくみだ!

 

この時は入院って、こんなにもしんどくて
退屈で・・痛くて、予想はしてましたが・・
1年ぐらい入院している人は凄いと尊敬して
しまいます。

 

今日も「ぽんくみ入院日記」みたいになっていますが、
読んでくださって”感謝”です。

 

入院してから、あまり眠れない。
昨夜も眠れなかった。

 

昼寝をしている訳でもないのに、夜になると
目がさえる。

 

身体が良くなるには、睡眠と栄養だと思うけど、
これがなかなか難しいなぁと思う。
昨日よりは今日って感じで、少しずつ良くは
なってきている・・とは思う。

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段々と普通になってきたけれど、低下した
体力はなかなか戻らない。

 

朝のシャワーが体力がなさ過ぎて辛い。
でも、お昼から入っても辛いと思う。

それくらい、体力がなかった。
ほんまに大丈夫かなぁと、心配になる。

 

今日は日曜日だけど、台風が今日の後半から
やってくるらしい。
日曜日なんだから、台風も休んだらええのにと思った。

 

 

余所の病室はお見舞いが多いけど、うちの
病室は少なくて静かだった。

 

それでも全くなしではないので、居心地は良くない。

 

1階の外来ロビーに行って本を読むことにした。

診察があるときは、すごい人でゴタゴタしてるけど、
休みの日は誰もいなくて静かで、
最高の場所だということに気が付いた。

 

田舎のコなので、人が多い所は好まないのである。

 

それ以外にも、病室にいたくないのには理由があった。

 

 

同室のがん患者さんのクレームを
ずっと聞いてるのが、
とてもしんどかったからである。

 

とにかく、食が進まないらしい。
ごはんは嫌だから、そうめんに
変更をしてもらってた。

 

それも入らなくなって、パンに変わった。
パンにしたけど、また直ぐに変わり
ごはんになった。

 

ごはんを要求したが、伝達ミスでまたパンが来た。
イライラしながら、文句を言われてた。
「言ったことが、なぜ出来ないの?」と。

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次からは約束通り、ごはんが来ていた。

しかし、進まないので、
今度はふりかけを付けるように言っていた。

 

ふりかけくらい、自分で持ってきたらええのに・・
と思いながら聞いていた。

 

次のごはんのとき、ふりかけは付いてこなかった。
また怒っていた。

ふりかけを頼んだ看護師さんではない看護師さんに。
次のごはんのときはふりかけが付いてきた。

 

 

でも、私の食事にも付いてたので、
多分全員に付いてたと思われる。

 

次の食事のときにはまた付いてなかったみたい。(汗)

 

最初にふりかけを頼まれた
看護師さんが謝りに来られてた。
シフトで、また仕事に来られたのだと思う。

 

「何で、言われたことが出来ないの!」
怒りは隠せないほど大きなものになってた。
気持ちはわからんでもないけど、傍目に見てて、
気分がよくなかった。

「私のごはんには必ずふりかけを付けて頂戴。
 必ずよ、必ず!」
口調は、かなり怒っていた。

 

次の食事はうどんだった。
うどんには、ふりかけが付いていた。
“必ず”が、守られてた。(笑)

 

このときは三連休中だった。
施設に勤めてるから、何となく想像が付くの
だけど。。

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連休中は多分職員不足だと思う。
主たる担当者が休みだったり、職員が手薄だったりで、
伝達が上手くいかずに、こんなことに
なったんだろうなぁと思った。

 

だからといって、許されるもんでもないけど。

 

でも、うどんにふりかけが付いてきたときは、
思わず吹き出してしまった。

そーきたか・・と。

とにかく、そんなのを見てるのが、
私はあんまり好きではない。
嫌な気分になる。

 

そんなこともあり、病室にはいたくはなかった。

 

でも、三大欲求の食が満たされないのだから、
イライラするのも仕方がないけれど。

 

この数日後、いつもイライラしてた彼女から
声を掛けられ、話をする機会がある。

 

ここにいる人たちと、私たちはイントネーションが
明らかに違ってた。

 

二人とも余所の人だというのは、お互い気が付いていた。
そんなこともあり、声を掛けられたのだと思う。

 

「どこが悪いのか?」と聞かれる、
「子宮頸がんの検診に引っかかり、子宮を全摘
 することになって、この病院を紹介された。」と答えた。

「子宮筋腫か何かかと思った。」と言われた。
筋腫の人は本当に多い。

 

ただ、癌の人はカミングアウトしないと思うので、
余計に少なく感じるのかも知れないけれど。

 

子宮筋腫でなく、癌だとわかったら、
急に親しく話されるようになった。
同じがん系統の患者だと思われ、
親しみを感じられたのか、話しながら笑顔も見られた。

 

 

一応、自分はがんの前の細胞異形成で、まだ
がんではないと付け加えた。
病理検査で確定はするが、まだ違うと言った。

 

このときは、そう思っていた。

 

彼女は膵臓がんだと言った。
膵臓がんは難しくて大変でもう治らないと
説明してくれた。

 

私の父も膵臓がんだったと伝えると、増々
親しく話してこられた。

がんの中でも膵臓がんが最悪なのは身に染み
てわかっていた。
そして、胃がんと同じくらい、ものが食べれ
なくなるがんだということも、よく知ってた。
いつも怒ってばかりの人だけど、
そのイライラもそーゆーことなのかと思った。

 

彼女の顔色はすごく悪かった。
多分、長くはないだろうと。
ほぼほぼ間違ってないと思う。

 

骨まで転移してるけど、痛みは感じないと
言われるので、それは不幸中の幸いだと
思った。

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それからは、ちょくちょくお話をするようになった。

 

人見知りの私から、話し掛けることはなかった
けれど、病気の話やたわいもないことを色々と
話した。

本当は、怖い人でも悪い人でもないのかも、
知れないなぁと思った。
元気で痛みなく長生きしてほしいと思った。

 

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そして、笑顔の機会が少しでも増えればいい
なぁと、そう願った。

 

 

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